菅家理事長 バンコクでの活動報告③

2017/7/19 バンコクへ

バンコク二日目 今日は朝から雨がぱらつく天気、歩き回るには不都合、時間が押しているので朝食を早々にとり出発・・・斎藤は若いせいか朝から食欲がすごい

最初の訪問先は、コンプレックスビルにある共同通信へ

共同通信の支局長 アジア統括の近澤 守康氏とは、昨年の慰霊祭時に名刺交換を済ませている、氏から昨年からの慰霊祭日付変更はよろしくないのではないかと疑問視される。

本来12月26日が震災の起きた日でありスマトラ沖地震と世界津波の日を結びつけるのは無理があるのではとの指摘、無論、慰霊祭は12月26日が間違いないのだが、あれから10数年という月日が流れ遺族の方達の老齢化や12月26日はプーケットそして日本では繁忙期であり費用も嵩む、両国からの参列者を募るには非常に厳しく、特に遺族の方達の意見を尊重し、ついでではなく世界津波の日に慰霊祭を重ねた、しかしながら本来であれば12月26日が大事なのでNPO法人プラジャとしては昨年からの変更であるが、その日12月26日には私はじめ在タイ日本人で小さくも慰霊を行っている事を説明

また世界津波の日という事もあり本年は、日本の津波被災地である石巻幼稚園の児童からの葉っぱスタンプによる両国の国旗を作成しその交換会が出来たらと企画模索中の事を伝え、本年も変わらず慰霊祭及び世界津波の日には、その思いを伝えて頂く事で取材に来られるとの返事を頂きました。

また近澤氏は近々に日本へ戻られるとの事で、後見に井上記者をご紹介いただきました。

なんとなく寂しい思いを胸に、共同通信社を後にしました。

左 近澤 守康 氏

近々に日本へ戻られることになった。在タイ人としては寂しいな~

次に向かったのが、シーロムにあるバンコク週報

バンコク週報では、当NPOプラジャの活動を紹介していただいた経緯があり、お礼を兼ねてお伺いする予定でしたが残念なことに、倉林編集長が海外出張で留守の事は、承知の上でNPO法人プラジャの概略と当法人で作成した「世界津波の日」Tシャツをお届けして、お昼の食事に向かいました。

お昼の食事をバンコク日本人会事務局長の磯田 博之 氏と会食

磯田氏とは、過去に面識もありますが、NPO法人プラジャとしては初めてのご挨拶

歴史のあるバンコク日本人会ですから、経験も実績も豊富、NPO法人プラジャからすれば羨望に値する存在なわけで、今後の活動に向け色々なアドバイスを頂き、情報の共有をして行こうと話は弾み美味しいお昼ごはんとなりました。

バンコク日本人会とNPO法人プラジャの根本的な部分の違いは、バンコク日本人会は日本人だけの団体でありNPO法人プラジャは国際交流を活動の一つとして国籍を問わず活動しようという事です。しかしながら活動の目的や内容、求めている使命感は同じであり大先輩であるバンコク日本人会の磯田氏の助言や経験に今後も期待して昼食を終えました。

左 バンコク日本人会 事務局長 磯田 博之 氏

ここでも、当法人で作成した「世界津波の日」Tシャツと共に記念写真